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10/23新潟中越地震から9年

  • 2013年12月2日
  • 読了時間: 7分

更新日:2025年8月11日

新潟中越地震から9年の震源地川口へ行ってきました

毎年震災のあった日に開かれるフェスティバルに

ラブフォーニッポンも参加してきました

311震災の後この新潟の震源地である棚田で

福島のみなさんとお米作りをさせてもらっています

そのお米がいよいよ出来上がったのでその出来たてのお米を

福島のみなさんに炊いてもらいおにぎりをつくって

会場に来たみなさんに振る舞うという事をしてきました



また日光山久保でもこのお米作りをおこなっているのですが

山久保のみなさんにも来てもらい

山久保唐辛子を販売したり、新潟のみんなとの交流をもってもらいました

宮城からは山元タイムの山下さんに来てもらい

山元タイムで製作しているものを販売してもらったりしました

ラブフォーニッポンを通じて他県のみなさんが交流を持ってもらえる

それが以前の被災地でもある

ここ新潟中越で出来ることはとても大切なことです



できたてのもち米を新潟の若者達が準備してくれてみんなでおこなった”わっしょい餅つき”

それぞれの地域の人達が一緒になってもちつきをしてそれを福島のお母さん達が新潟の女の子達と一緒に素早くとりわけきなこやあんこなどをつけて振るまいました



この日は残念ながら雨となってしまいましたが


新潟の若者達は震災から生まれた言葉


”にいがたからみんなえがおに”


をたくさんのキャンドルで灯しました



10/23

この川口町はいたるところに黄色いフラッグがはられ

たくさんの”ありがとう”がメッセージとなってなびいています

震災から10年が経とうとしていても

「全国のみなさん!震災のときは本当にありがとう」と

黄色いフラッグがはり出されます


気持ちのよい秋晴れにこの黄色いフラッグをみると

なんだか涙が出そうになります


震災があった日を、命日をかなしみを思い出す日にするのではなく

感謝を伝える日にそしてお互いが喜び合える日に変えている

自分たちが体験したことを悲しみのなかで語るのではなく喜びのなかに伝えていく

そしてあらたな悲しみの場所にその喜びと感謝を届けにいく


そんなことがここ新潟の震災のあった場所の震災が起きた日にあるのです


震災からずっと走り続けつながって来た東北のみなさんを

ぜひこの新潟の震災のあった場所に

そして震災が起きた日に一緒にここにいたいと願っていました


たくさんの笑い声のなか

みんなで餅つきをできたことは本当に良かったです


新潟中越のみなさんは震災直後から東北の被災地へ支援に向かいました

その活動内容にはリアリティがあり

被災地での緊急ラジオ局開設であったり

行政のなかに入り緊急対策チームにはいったり

物資の内容、炊き出しのしかたにも

経験したものならではの内容でした


震災被害時のマニュアル的なものは

日々の訓練などでも各行政がもっているものがあると思いますが

実際は被害にたいしての対応だけでなく

それらのアピールをどうするのかといったことはマニュアル化されていないはずです


そして結局は町のプレゼン力が強い地域などに

支援が集中するといった不平等が発生します


ここ新潟でも山古志村は

ずば抜けて全国への訴えかけができていたおかげで

多くの支援が集まりました


それは同時に近隣の町村からは疎ましく思えたりする事でしたが

山古志村のみなさんはその経験をこの311震災の被災地にも伝えてくれています


今回の震災でもスポットがあたる町とそうでない町ができました

そもそも震災の規模が大きすぎるということ地震による被害と

津波による被害そして原発事故による被害と

被害内容の違いも影響していると思いますが

それでもけっして平等とはいえない現状が出来てしまっています


物資提供はじめ行政の在り方の基本は

”平等”にです


各都道府県はもちろん国という単位でも

それは基本にあるはずですですが

緊急時の訓練事項や対策は同じようなものでも

現在これだけの差が生まれてしまいました


きっとこれには行政のというか”システム”の限界なのだと思います

支援団体のみなさんはそれらを理解した上でのアクションなので

行政では足りていない部分を埋めてくれました

各団体もこれまでの震災などから学んだ結果なのだと思います


もちろん自分もこれまでの経験があったので

なるべく無駄のない物資提供や炊き出しをおこなう事ができてきました

だからといって行政のみなさんがだめだということは言いません

日々ルールを重んじ仕事をされている行政のみなさんも

震災直後は日々の”決められたルール”ではなく

”人としてのルール”で寝る間もなく活動していることを知っています


だからだめだとは言いませんが

震災からまだ三年も経たないのにすでに”平等”発言が増えてしまっています


何のせいなのか?


大きな戦争があり大きな原爆が落ちました

そしてたくさんの人が亡くなりました

それでも人は時間が経てば原爆が落ちた近くにも原発を建てます


原発が事故を起こしても原発を稼働させようとします


とても簡単に書いてしまいましたが

これが現実ですから現時点では仕方がないことだと思っています


またついでに書いてしまいますが

放射能の被害というものを多くの人は理解していません

”いつか癌になる””奇形児がうまれる?”


福島に何度も通っているけど

被害の人見た?と聞かれます


「自分はたくさん見て来ています」


何十年と先祖からつくってきた畑、たんぼでもう作物が作れなくなった

小学生の女の子が”もう私は子供産めないんだよね”

大人達の日々の不安からアトピー症状が酷くなった子供達

原発地域と避難地域の人達の衝突

多くの訴訟、自殺者の増大、ストレスから来る様々な病

他県に引っ越して受けたいじめ‥‥などとたくさんの被害が出ています

「直接的にそれらすべてが放射能のせいではないと言われたらそれまで」

といった言葉をセットにしたこの被害が放射能の被害です


これはどんな病気よりもおそろしい被害であると思います


実際に放射能が飛散していない地域や

そこに暮らす人でも

今では福島という言葉でくくられるのであれば風評被害となります


未だ原発は不安定で汚染水も垂れ流し

完全停止のめど経たぬなかほんとうに風評被害で済むのかもわかりません


こんな状況の福島原発があるにもかかわらず

また全国の原発が稼働してなくても

夏を乗り越えた今でも

再稼働の話が出ています


たくさんの人が反対運動してもデモをしても

政治に関心をもって選挙に行ったとしても

世界は変わったのでしょうか?


諦めるという事ではありませんが

今の現実をしっかりと受け止めるべきだとは思います


”反対”という事よりも

いっしょにごはんを食べる事

隣人の子供達やお年寄りの世話をすること

そんなことがやはり自分にはリアリティがあることであり

日々実践できることなんだと思っています


きっと政治に関心を持つより

新しいコミニティを作る事のほうが大切だととも思っています


本当のかなしみを知った人達と

より多く仲良くなることのほうが

本当の喜びを知る事が出来て

それらを子供達に残すが大切なはずだと信じています


今の日本の”システム”におかしいぞと思いながらも

それをなんとかするための毎日ではなく

それによって苦しんでいる人達とともに

悲しみを分かち合ったりよろこびあったりすることのほうがきっと


”地球の上に、この日本の大地とともに生きるほんとうのシステム”

を作り出せる一番確かでもっとも早い一本の道を進む事になるのだとも思っています

歩みは遅く広がりも小さなものとなってしまっていますが

被災地のみなさんと一緒に歩んでいきたいと思います



今月は新潟でとれたお米をもって福島の仮設で収穫祭をおこないます

新潟からも山久保からも宮城からも集まってくれて今年1年みんなでがんばったお祝いをします

もうすぐ被災地は本格的な冬となります

三回目の冬をすこしでもあったかいものとなれるようにたくさんの笑顔がうまれるように

歩み続けます

みなさんこれからもどうぞよろしくお願い致します

Candle JUNE






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